沿革
1925年に創業してからの歩みについてご紹介しております。
1920~30年代
大和鋼業の歴史は、1925年に遡ります。第一次世界大戦や関東大震災といった歴史のうねりのなか、「切板の元祖」とも言われる店で奉公を積んだ津井田清一郎が、自らの手で事業を行いたいと一念発起。25歳という若さで「津井田鉄店」を開業したのです。
1927年に起きた金融恐慌が世界大恐慌となり、日本に波及した1930年には、想像を絶する鉄鋼不況に。翌1931年の満州事変による軍需景気が起こるまでは、我慢の経営が続いたと言われています。
この時期の主な出来事
1925年(大正14年)10月1日 | ・津井田鉄店開業 |
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1940~50年代
戦争が激化するなかで鉄が国に統制されるようになり、思うように事業が行えない時期が続くものの、満を持して1947年に大和鋼業株式会社を設立しました。
そして鉄の統制が解除された1951年、自社工場を建設。鋼板の剪断加工を行うシャーリング業に進出しました。
この時期の主な出来事
1947年(昭和22年)12月5日 | ・大和鋼業株式会社設立 |
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1951年(昭和26年) | ・境川2丁目に自社工場を建設 |
1960~70年代
1961年には地下鉄工事の影響で工場を立ち退くことになったのを機に、新工場を建設。その後、1968年には松原市三宅中に溶断専用工場を、そして1974年にはその隣に第二工場を増設。鋼板溶断を中心として、事業規模の拡大を果たしました。
1978年には現在地に本社を移転。翌1979年に数値制御ができるNC溶断機を導入し、より精密な加工が行えるようになりました。
この時期の主な出来事
1961年(昭和36年) | ・地下鉄4号線工事のための工場立ち退きに伴い、新工場を建設 |
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1968年(昭和43年) | ・溶断専用工場を新設(松原市三宅中) ・住友金属工業より指定厚板シャーリング工場として認定(住友3S会メンバーとなる) |
1974年(昭和49年) | ・溶断専用工場の隣接地に第二工場を増設 |
1977年(昭和52年) | ・津井田恒夫が代表取締役就任 |
1978年(昭和53年) | ・現在地(松原市三宅中)へ本社移転 |
1979年(昭和54年) | ・NC溶断機導入 |
1980~90年代
1980年にCADシステム、1994年にはレーザー加工機、そして1997年にはコンピュータを活用した生産管理システムを導入。
現在の大和鋼業の特長である、精細な切断・加工をスピーディーに行うことのできる体制が整いました。
この時期の主な出来事
1980年(昭和55年) | ・CADシステム導入 |
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1994年(平成6年) | ・レーザー加工機導入 |
1997年(平成9年) | ・津井田新一が代表取締役就任 ・コンピュータによる生産管理システム導入 |
1998年(平成10年) | ・大阪工機株式会社を吸収、傘下へ ・製罐加工事業開始へ |
1999年(平成11年) | ・大阪工機株式会社を松原本社工場隣接地へ移転 |
2000年代
2000年代に入ると、総合鋼板加工業務を開始。ガス溶断やレーザー切断といった切板加工のほか、それまでにも取り組んできた開先や製罐の強化、そして曲げや溶接、塗装など2次加工のサービスラインアップを充実させることで、お客様の多様なニーズに対応できるようになりました。
この時期の主な出来事
2002年(平成14年) | ・美原ガス溶断工場増設 |
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2004年(平成16年) | ・大阪工機株式会社を合併 ・富田林工場増設 ・総合鋼板加工業務開始 |
2006年(平成18年) | ・南港工場増設 |
2007年(平成19年) | ・津井田照久が代表取締役就任 ・基幹システム「D CO-STAR」導入 |
2009年(平成21年) | ・美原ガス設備を南港工場に集約 ・ISO9001認証取得(認証番号JQA-QMA14009) |
2010~20年代
2010年代に入っても大和鋼業のサービスは進化を続けています。2011年に富田林第二工場、2012年に咲洲工場を増設し、「より多く」「より複雑な」加工にも対応可能に。これからも新たなチャレンジを続け、お客様から寄せられている「鋼板加工のことなら、大和鋼業へ」というご期待にお応えしていきます。
この時期の主な出来事
2011年(平成23年) | ・ISO14001認証取得(認証番号JQA-EM6655) ・富田林第二工場増設 |
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2012年(平成24年) | ・咲洲工場増設 |
2020年(令和2年) | (株)楠村熔断工業所をグループ会社化 |